懐の深いまち銀座にあるディープなバー
東京銀座というと、お金持ちのまちというイメージで、なかなか溶け込めない感じです。しかし、一方で成熟した大人のまちでもあります。奥が深く、幅が広いということでしょう。
先日行ったバーもそうした店のひとつです。銀座には多くのバーがありますが、ここは昭和2年から続いているそうです。海軍の山本五十六が通ったといわれる伝説のバーです。カウンターだけではなく、テーブル席もあります。なんといっても、調度が古きよき時代の日本的西洋風で、壁にかかっているのはフランス十字軍の旗だそうです(写真参照)。
こうした店も含めて、まち自体が明確な顔を持っていることが、まちの風格でもあります。新宿や渋谷のようにどんどん新しくなるのもひとつの都市のあり方かもしれませんが、なんでもかんでも新しいもの、ということでアイデンティティがなくなってしまうのは、都市としてはどうでしょうか、あるいは国としては…。
レトロという言葉がはやり、いまでも「懐かしき昭和」などと言われますが、昭和は決してすばらしいわけでもなんでもなく、むしろ汚く遅れていました。しかし、そこには間違いなく人間が息づき、そしてそれこそがいまを形作っています。それを無視して、きれいなものだけを抽出しようというのは、それこそ虫がよすぎる、というものでしょう。
虫がよすぎたために、いまのような、どこへいっても金太郎飴で、張りぼてのディズニーランドのような空疎なまちができてしまいました。
世の中を「表」だけの薄っぺらさだけで動かそうという風潮がこれ以上続くと、あらゆる局面でほんとうに厳しくなるでしょう、日本は。
先日行ったバーもそうした店のひとつです。銀座には多くのバーがありますが、ここは昭和2年から続いているそうです。海軍の山本五十六が通ったといわれる伝説のバーです。カウンターだけではなく、テーブル席もあります。なんといっても、調度が古きよき時代の日本的西洋風で、壁にかかっているのはフランス十字軍の旗だそうです(写真参照)。
こうした店も含めて、まち自体が明確な顔を持っていることが、まちの風格でもあります。新宿や渋谷のようにどんどん新しくなるのもひとつの都市のあり方かもしれませんが、なんでもかんでも新しいもの、ということでアイデンティティがなくなってしまうのは、都市としてはどうでしょうか、あるいは国としては…。
レトロという言葉がはやり、いまでも「懐かしき昭和」などと言われますが、昭和は決してすばらしいわけでもなんでもなく、むしろ汚く遅れていました。しかし、そこには間違いなく人間が息づき、そしてそれこそがいまを形作っています。それを無視して、きれいなものだけを抽出しようというのは、それこそ虫がよすぎる、というものでしょう。
虫がよすぎたために、いまのような、どこへいっても金太郎飴で、張りぼてのディズニーランドのような空疎なまちができてしまいました。
世の中を「表」だけの薄っぺらさだけで動かそうという風潮がこれ以上続くと、あらゆる局面でほんとうに厳しくなるでしょう、日本は。
この記事へのコメント