That's Japan 番外地

アクセスカウンタ

zoom RSS 生活クラブ生活協同組合グループの市民セクター政策機構会報誌「社会運動」に書評

<<   作成日時 : 2010/11/16 13:42   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

『兵どもが夢の先』(高橋公:著)    
思ひ出は美しすぎて 〜共同体的自己決定のない時代・社会に打ち克つ方法〜

 うちには四匹のネコがいる。その中のケダマンというオスネコは二十歳になる。人間で言えば九十歳以上と言われるそうだ。確かに足元は覚束なく、眼もほとんど見えない。でも、よく食べる。空腹になると鳴いて食べ物を催促し、匂いを頼りに、あちこちにぶつかりながらよろよろと、食べ物のある場所にたどり着く。
 彼とは子ネコのときからの付き合いだ。いろいろな思ひ出がある。子ネコのころから毛玉のようにふわふわして丸っこかった。だからケダマンと名づけた。いつも元気一杯で、よく引っ掻かれたものだ。普段はあまり近づかないが、冬になると私の膝の上に登ってきて寝る。大病をして動物病院にひと月以上も入院し、見舞いに行くと早く出たいと訴えるように鳴いた。医者からは、もうダメかもしれないと言われたが、それでも元気に生還した。
 『兵どもが夢の先』の著者である高橋公氏(通称ハムさん)との付き合いも長い。かれこれ四十年近くになるだろうか。ネコとの付き合いと比べても仕方がないのだが、同じようにいろいろな思ひ出がある。しかし、ハムさんが学生運動をしていたころや、それ以後の労働運動のことも実際に知っているわけではない。年齢が違うこともあれば、活動の場も違うからだ。
ハムさんとの付き合いは、酒の場であったり、あるいは仲間とともに旅行したことなど、彼が生きている本筋とは少しずれた場所でのこととなる。もちろん、早稲田での伝説的な学生運動のことを中心に、ハムさんの噂はたくさん訊いていた。しかし、本人の口からは一度たりとも過去の話を訊いたことはない。あえて私も訊かなかった。なぜなら、学生運動のことはすでに遠い彼方のことであり、いまさら訊いたところで意味はあまりないと思っていたからだ。
それでも、『兵どもは夢の先』は上辞された、しかも弊社から。そのきっかけは、著者本人が前書きにも書いているように「四十年前の日本を震撼させた全共闘運動に参加した一人の団塊世代の人間として、人に語れるほど立派に生きてきたわけでもないが、自分が生きてきた六十年を振り返って、自分は何にこだわって生きてきたのかを語っておこうと思ったのである」ということからだった。
しかし、これだけでは出版には踏み切れない。ご存知のように、本は売れない、のである。実際、弊社の出版部門の売上は数年前と比べると半分以下になっている。本を全国の書店に配布してくれる取次も、以前より取ってくれる冊数は圧倒的に少ない。ところが、出版点数は単行本だけでも月間で四千点以上もありその数は減っていない。したがって、本は昔より人目に付かない。活字離れというよりも、携帯電話などの新しいメディアの普及もあるだろう。
では、なぜハムさんの本を出版することにしたのか。背中を押したのは、日本の今の状況といっていい。あまりにも不甲斐がない。これからどうなるのかまったく見えない。そんなときこそ、過去に学ぶ≠ナある。特に、社会を良くしようとして立ち上がった若者が元気だった全共闘運動の時代。日本の全共闘運動はフランスやドイツと違って、後代にまったく受け継がれていないということもあった。たとえばフランスでは、五月革命を闘った連中が「国境なき医師団」を作って活躍している。ドイツでも緑の党が気を吐いている。しかし日本では、福井晴敏の『トェルブ Y.O.』にあるように「騒ぐだけ騒いで、負けも認めなければ、自分たちの活動を総括しようともしなかった。大戦後の日本と同じだよ。ある者は地下へ潜り、ある者は涼しい顔で体制側に組み入れられていって……。後に続く世代への橋渡しをしないで消えちまった連中の無責任が、シラケっぱなしで、何も考えようとしない今の日本人を作ったんだ」とされる始末だ(結末近くでは逆にエールを送られているが)。
確かに、太平洋戦争のこともそうだった。私の父も動員されシベリアに抑留されていたが、当時のことは語らずじまいで死んでいった。なぜ日本では歴史の引継ぎがないのか。過去は全否定されるだけで、そこから何も学ぼうとしない。そこにはきっと何か日本独自の理由があり、それを追及して突破できれば、日本は光を見出せるかもしれない。そう思ったのだ。
本書の出版記念として開催したシンポジウム「夢か現か幻か! 全共闘運動の罪と罰を問う!」において、社会学者の宮台真司氏は次のように語った。「八十年代に先進諸国では、従来の『個人か国家か』、あるいは『市場か再配分か』ではなく、共同体の自治つまり、共同体的自己決定があるのかないのかが問題となった。それを保存すべくあるいは護持すべく、市場や行政・官僚制にどう向き合えばいいかという問題設定をしてきた。たとえばイタリアのスローフード運動やカナダのメディアリテラシー教育。ところが日本だけそうした発想が欠落し、いまだに『個人か国家か』の二項対立の中に取り残され、その結果、日本の共同体は空洞化してしまった」。『トェルブ Y.O.』にあるように、共同体の問題が個人%Iなそれとして解決が図られているということだ。
ところで、本書にその答えはあるのだろうか。正直言って、ない。著者は、イデオロギーや観念よりも内発性で動いていた経験を述べているだけだ。しかし、運動といえ人生といえ、何よりも人間の心であり情であって、それこそがもっとも重要だということがよく分かる。そして、それを保障するのが、共同体だ。崩壊しつつある日本にあって、共同体の再生こそが日本を再建する唯一の方法かもしれないのだ。

私にとってケダマンの思ひ出は、私だけのものだ。とても美しい。でも私が死んでしまえば消えてなくなってしまう儚いものでもある。しかし、ハムさんの思ひ出は私だけのものでもなければ、ハムさんと同世代の人たちだけのものでもない。日本の共同体そのものの歴史である。美しくはないかもしれないが、実社会に活用されることを待っている思ひ出である。

画像



兵どもが夢の先
ウェイツ
高橋公
amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by 兵どもが夢の先 の詳しい情報を見る / ウェブリブログ商品ポータル



キングオブオイル
ウェイツ
ダニエル・アマン
amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by キングオブオイル の詳しい情報を見る / ウェブリブログ商品ポータル


テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
生活クラブ生活協同組合グループの市民セクター政策機構会報誌「社会運動」に書評 That's Japan 番外地/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる