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help リーダーに追加 RSS 『みなとの偉人たち 時代への挑戦・海からの日本づくり』3月上旬発行予定

<<   作成日時 : 2008/02/13 13:13   >>

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『みなとの偉人たち 時代への挑戦・海からの日本づくり』は、みなとに対して愛着をもち、実際に港湾づくりにいろいろなかたちで携わった20人強の人たちが筆者です。

本書で取り上げられている人物は、古くは平清盛から明治時代を中心に26人、そして補遺として約30人を追加しています。みなとの建設や活性化、あるいはみなとを活用した人がこれほどたくさんいるというのは、少し信じられないかもしれませんが、日本はやはり周囲を海に囲まれているので、歴史的に見るとけっこういます。

伝記というのは、今ではあまり読まれなくなったようです。昔は、野口英世であったり、反面教師としてのヒトラーであったりしたのですが…。その理由としては、「目指すべき人物像の欠落」、つまり社会の混沌化、目的不在化によって依拠する基盤がなくなっているということでしょう。

だから、本書も「売れる」本ではありませんが、それでも伝えるべきは伝え、教えるべきは教える、ということで出版することになりました。

以下は、そのなかの「勝海舟」です。筆者はブログ執筆者です。

咸臨丸で渡米し海国日本の礎を築く

勝海舟

 咸臨丸が浦賀を出航し、アメリカのサンフランシスコを目指したのは1860(安政7)年2月10日(以下すべて新暦)のことだった。ときは幕末、日本国内は幕府派・反幕府派が対立を深め、大荒れの様相を呈していた。
咸臨丸渡航の目的は、日米修好通商条約の批准書交換のための、外国奉行新見豊前守を正使とする遣米使節団の一行を乗せたポーハタン号を護衛するというものだった。しかし出航日もそれぞれ違い、しかも、咸臨丸とポーハタン号を比べると、スピードなどの性能はポーハタン号のほうがはるかに優れ、“護衛”と呼べるものではなかった(資料1参照)。また、ポーハタン号は修理のためにハワイに寄港したが、咸臨丸は寄らずにアメリカに向かっている。つまり、咸臨丸は最初からアメリカへの航行を目指したものだったのだ。
 このときの実質的な艦長が38歳の勝海舟だった。海舟は1823(文政6)年、江戸本所に身分の低い旗本の長男として生まれ、苦労して蘭学を修める。その後、海舟は『海防意見書』で堅船の建造や海外交易の重要性を述べて幕府高官に認められ、長崎海軍伝習所行きを命じられるが、そこで3年間みっちりと航海術を学び、国内でも比類ない航海の経験を積むことになる。海舟が海運や海上交通など“海”の重要性をさらに認識したことは間違いないだろう。
では、なぜ海舟はアメリカ渡航を断行したのか。1853(嘉永6)年のペリー来航以来、日本は欧米列強に分割統治されるのではないか、あるいは滅ぼされるのではないかという危機感が全国的に蔓延していた。そうした時代状況の中で、海舟は日本が世界に通じる一流の国であることをアピールするために航海の実績が必要と考えたのだ。当時、近代国家の最低条件というのは、世界を航行できる船を有することであったからだ。
 海舟は、江戸城無血開城、さらには日本が欧米列強に分割されないための活動をしたことで知られるが、これらは“幕府”という発想ではなく、すべて一段上の“国家”という考えに基づいている。
 ところが、海舟は咸臨丸上でみんなを困らせる行動をとっている。船酔いを理由に部屋からあまり出てこなかったり、洋上でたびたび「すぐにバッティラ(ボート)をおろせ、俺はこれで帰る」(『氷川清話』より、以下同)と言ったりした。その理由は、海舟の上に軍艦奉行として木村摂津守がいたが、海舟より7歳年下で、しかも操船の実務経験がまったくない、お飾りのようなものだったからだ。そうした背景があり、海舟は咸臨丸上でもどこかおもしろくなかったのだろう。
 咸臨丸がサンフランシスコに着いたのは、3月17日のことだった。これはポーハタン号より12日早い到着で、アメリカ人の助けを借りたとはいえ、日本人として初めて日本の船で太平洋を横断したのだった。いま、日本からアメリカへコンテナ船で行くとすると、約22ノット(1ノット=1.852km/h)の速度で9日ほどかかる。比して咸臨丸は37日という長旅だった。
 咸臨丸が50日余の滞在後、サンフランシスコを出発して日本に戻ったのは6月23日のことだった。その間、日本では井伊大老が桜田門外の変で命を落とし、安政から万延へと改元されている。海舟自身はその事件を帰国してから知ったのだが、そのときのことを「おれはこのとき、桜田の変があったことを初めて知って、これで幕府はとてもだめだと思ったのさ」と述べている。その言葉どおり、幕府はその後ますます混乱に陥っていった。
 帰国後、海舟は異国の様子がどのようなものかを説明せよと江戸城下に呼ばれ、こう答えている。「彼の国は、政府でも民間でも重職にある人は、その地位相応に利口でございます」。封建社会の閉塞状況をピシャリと言い当てる発言だが、幕府の連中は鼻白んだことだろう。
 その後、海舟は将軍家茂の許可を得て1864(元治元)年、神戸に海軍操練所をつくる。当時の神戸は西国街道沿いの小さな田舎町だったが、海舟は、ゆくゆくは日本の交易や海運が盛んになり、港を中心に町が栄えると考え、この地の将来性を既に見込んでいた。その証拠に、海舟が世話になっていた地主の生島四郎太夫に、「早晩必ず繁華の場所になるから、地所などはしっかり買って置け」と指示している。生島は半信半疑だったが土地を買い、やがて土地の値段が上がって財を成し、神戸開港では多大な寄付をするなどの貢献もしている。
 操練所の場所は小野浜で、「旧海軍操練所跡の碑」がある現在の場所から東の税関本庁舎一帯までで、ここがその後の神戸港の中心地になったのだから、まさに海舟の慧眼といえる。この近くに港湾建設を担ってきた神戸港湾事務所などの港湾関係の諸機関があるのも、なにかの縁ではないだろうか。
 操練所のねらいは、「能力のある人材をあらゆる階層から発掘する」ことと、「挙国一致の世論の形成」だった。生徒は幕府の師弟だけではなく、坂本龍馬や陸奥宗光などの反幕府派が入ることも認め、なかでも龍馬は塾頭となった。海舟にとっては、生徒は幕府派でも反幕府派でもどちらでもよく、「日本という欧米に負けない国をつくる」という大きな目標があった。
 しかしこれは、いまでいうなら、自国の軍隊と敵対するテロリストを同じ場所で訓練するようなもので、いくらなんでもそんなことが幕府に通るわけがない。実際に「禁門の変」などに脱走した門下生が参加していたため、海舟は急遽謹慎を申し付けられ、操練所は1865(元治2)年、1年もたたないうちに閉鎖されるが、海舟と龍馬はさらに硬い絆で結ばれていった。
 あるとき龍馬は「アメリカ大統領だったワシントンの子孫はいまは何をやっているのですか」と質問した。海舟は「知らない。きっとアメリカ人も知らないだろう。大統領をはじめ、いろいろな議員、あるいは首長などの高級官僚はすべて、市民の入れ札(投票)によって決められている。しかもその任期は4年だ。立候補者の身分は問わない」と答え、龍馬はすぐさまその真意を汲み取ったようだ。つまり幕藩制度は既に古く、これからは身分を問わずに優秀な人間を抜擢する制度をとらないと列強に負けてしまうという認識だ。
 そうした考えが理解できたのは、海舟をはじめ坂本龍馬、西郷隆盛など、ほんの一握りだった。しかし、その一握の砂が時代の舵を大きく切り、やがて海舟の真骨頂ともいえる江戸城無血開城を実現させる。
 当時のことを海舟は次のように述べている。「江戸引渡しの精神は、実に犯すことのできない武士道からでたのであるから、申し分ない立派なものさ。時勢を洞察して、機先を制することも必要だが、それよりも、人は精神が第一だよ」。機を見て敏であることも大切だが、もっと重要なのは精神だというのだ。
 ポーハタン号に乗船した使節一行は、サンフランシスコに到着後、ワシントンとニューヨークに行った。そして、現地でことのほか高い評価を受けることになる。気品があり、しかも礼儀正しく教養深く、立派な精神を持った人間が東洋にいることが、アメリカ市民にも尊敬の念をもって迎えられたのだ。言うまでもなく、使節一行の精神とは武士道である。
 江戸時代を支えた武士道の精神が新しい時代をつくるときにも支えになったことを考えると、海舟の言うように精神の重要性には計り知れないものがある。
 いま、日本はまさに咸臨丸が太平洋に繰り出したときと同じような不安定な状態にあるように思える。しかし、武士道なき現代にあって、状況を乗り切るための“日本の精神”というのは何を意味するのか。
 ただ、時代が変われど島国日本の精神のキーワードは、幕末と同じように“海”ではないだろうか。四方を海に囲まれた日本にとって、海とそのゲートウェイである港の活用が生命線であることは、いまでも変わらないからだ。“海”という外に開いた視点を踏まえながら、もう一度、内なる日本の精神を考えるのがもっとも理にかなっているように思える。

なお、写真はうちに来た新しい猫の通称「ホワ」です。もうすぐ2歳で、いまが活発盛り。人懐っこい、犬のような猫です。

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